九段坂三番町

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■ リシャールを探して

2006/12/18 月 00:49 | -

 ケータイからWikipediaを利用する。いつでもどこでも、百科事典を手のひらで閲覧できる。もちろん、項目によっては眉に唾を塗りたくる必要はあるが、おおよそ古代や中世といった歴史的な事柄であれば、それなりに知識を持った前提で読むことになるため、自分自身で信頼できる記述かどうか判断できる。もちろん、知らないことのほうが圧倒的に多いので、そんな考えは浅はかに過ぎるのだが。

 ずっとローマ帝国がらみの調べ物をしていて、イスラム系各種王朝を調べたりしていた。そして最近では、シチリアまで征服したノルマン人のことが気になり始めた。ノルマン人は、いわゆるヴァイキング。9世紀頃から欧州各地で暴れまくるが、歴史上の大きなトピックの1つは、ノルマン・コンクエスト。現代の英王室に繋がる、とされる英国征服だが、成し遂げた人物は、北仏のノルマンディー公ギヨーム、転じてウィリアム1世だ。

 そこまでは高校の授業で習ったことだが、そもそもウィリアムは何代目のノルマンディー公だったのか、好奇心がうずいて調べ始めたが、日本語のWikipediaには、ノルマンディー公国の祖であるロロをはじめ、それなりに執筆されているものの、ロロからギヨームに至るまでに位置する、数人の人物の伝記に抜けがある。

 「読みたいなぁ、この伝記がない人たちのところ、知りたいなぁ」と悶々としていた時、Wikipediaは多言語対応であることを思い出した。私がなんとか読解できる外国語は英語だけなので、すぐ英語版のWikipediaに携帯電話からアクセス。

 しようとしたが、ケータイからだと、結構難しい。URL入力でダイレクトアクセスしても携帯電話の通常ブラウザでは使い物にならない。こういうとき、つまりパソコン向けWebサイトを携帯電話から参照するときは、携帯版Google経由でアクセスすると、レイアウトが改変されて、携帯電話画面に適した表示になる。しかし、Google経由で見るWebサイトは、閲覧そのものは問題なくとも、たとえば検索フォームなどは機能しないこともあるので、仮にアクセスできても、個別の項目を見つけ出すのは少々難しい。んー、と2秒ほど熟考してみたが、まぁ他に手段なし、ということでGoogle経由で英語版Wikipediaにアクセスしてみた。

 すると、トップページに西欧史関連の項目が表示されていた。これはラッキー。Wikipediaのトップに表示される項目は場合によって異なるので、これは偶然と思えないほどの運の良さ。そこから巡り巡って、ノルマンディー公の項目までたどり着いた。さすが、いろいろと書いてある。

 抜けていた人物は、カタカナで表記するとリシャール1世、2世、3世だ。先述したギヨーム、つまり英国を征服したウィリアムは、リシャール3世の甥にあたる。そして、リシャール1世は無怖公、リシャール2世は善良公と渾名されている。いやあ、これでその渾名の由来を英語版Wikipediaを使って、いつでもどこでも調べられる。ただし今回は、項目を見つけただけで満足してしまったのであって、そこまで読む気力が維持できるかどうか、今後の課題と言えよう。
author : hiziri | comments (0) | trackbacks (0)