九段坂三番町

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■ 交雑

2006/11/03 金 23:55 | -

 秋の夜長。どのように過ごしても、様々な考えが去来する。今日は、野球のことを考えていた。

 2006年のプロ野球シーズンが終わり、寂しさ募る秋が本格的にやってきた。自分自身が選手となれば、まともなプレーなど何ひとつとしてできない。つまり野球には観ることばかりに楽しみを見い出している。

 野球という競技を見るという行為の一体どこが面白いのか、いぶかしむ声もあるだろう。それはあらゆるスポーツ、世の全ての事柄に対して指摘できる点ではあるが、かつて斎藤茂吉はその随筆の中で「球戯を観る者は、球を観るべし」という正岡子規の言葉を示した。

 茂吉はさらに子規の言葉を続ける。「ベースボールにはただ一個の球があるのみ。(中略)この球こそ、この遊戯の中心にして、球の行くところすなわちゲームの中心。球は常に動き、すなわちゲームの中心も常に動く」

 その上で茂吉は子規が詠んだ「久方のアメリカ人(びと)のはじめにし ベースボールは見れど飽かぬかも」という歌を見せてから、アメリカ、ベースボールと言う外来語を用いる一方で万葉言葉を結句にした、と述べて「子規は洋の東西を問わず、時代を越えた、自由自在な言葉遣いを目指した」と評価する。

 ここまで、私はケータイで本稿を記した。ケータイからGoogleにアクセスし、青空文庫で茂吉の随筆を読んだ。茂吉は野球そのものの楽しさではなく、子規の歌を評したが、私は茂吉から見た子規を通して野球を観る楽しみを伝えようとした。時を越え、受け手・送り手双方の意志が交雑する。次は、どのような種が植えられ、花が咲くのだろうか。ただ漫然と遊ぶのも、秋の夜長にふさわしい。
author : hiziri | comments (0) | trackbacks (0)